コロナ禍でお出かけもままならず、「Stay Home」で自粛の毎日です。
GO TO トラベルキャンペーンも実施されていますが、埼玉県でも「ほぼほぼ東京」と言う立地に住んでいる私は、お盆の帰省もやめました。
そろそろストレスもMAXになり、近場ならいいんじゃない?!と言うことで、同じ県内の川越市にある「川越城本丸御殿」と、童謡「通りゃんせ」発祥と言われている「三芳野神社」に行ってきました。
と言っても、「三芳野神社」は「川越城本丸御殿」の目の前なので同時に見学することができます。
川越城本丸御殿を見学

川越城本丸御殿
入場まえに検温と手指の消毒をします。その後、入り口で入場券を買います。ちなみに入場券は大人1名100円です。学生さんは50円です。
コロナ禍で平日と言うこともあり、お盆時期でもかなり人出は少なく、本丸御殿もゆっくりと見ることができました。
川越城は、天守閣などがない平城で、石垣などもありません。小田原城や姫路城などを想像すると、まったく違ったお城です。
川越城は、1457年に、上杉持朝の命により、家臣の太田道真・道灌親子が築いたといわれています。
その後江戸幕府の北の守りとして重要視され、酒井忠勝・松平信綱(知恵伊豆)や柳沢吉保など代々幕府の重臣が城主となっていました。
本丸御殿は、1848年に川越藩主、松平斉典が川越城の本丸に造営した御殿です。
本丸御殿内はカメラの撮影はOKでした。

家老たちの蝋人形がリアリティがあって良い
本丸御殿には、沢山の部屋があり、廊下が四方を囲っています。その廊下に沿って、部屋の中を見たり庭を見たりしながら進んでいきます。

川越城本丸御殿の部屋
廊下から庭の眺めも素晴らしいです。

本丸御殿の廊下から見た庭

本丸御殿の廊下から見た庭の風景
部屋の中にはきらびやかな装飾はなく質素な佇まいに趣がありますが、部屋を仕切る襖や欄間(らんま)は、日本文化を感じさせます。
童謡【通りゃんせ】の発祥の地「三芳野神社」
本丸御殿の目の前に、童謡「通りゃんせ」の発祥の地と言われている「三芳野神社」があります。
通りゃんせは、誰でも1回は聞いたことや歌ったことがある童謡ではないでしょうか。
童謡の中にはこんな歌詞があります。
親「ここはどこの細道じゃ?」
番人「天神様の細道じゃ」
親「ちょっと通してくだしゃんせ」
番人「御用の無い者通しゃせぬ」
親「この子の七つのお祝いにお札を納めに参ります」
七五三のお祝いのお札を納めるために神社を探していた親が、参道の番人にこの先にいる神様を聞いています。
番人は、「天神様への参道ですよ」と答えますが、「用事の無い人は通れません」と伝えます。
親が「七五三のお札を納めるためにお参りする」と言うと、「それでは通って良いですが、帰り道はご用心ください」と忠告されます。
ここが、「行きはよいよい帰りは怖い」の部分ですね。
では、なぜ「帰りは怖い」のでしょうか。これには諸説あります。
「帰りが怖い」神の子から人間の子へ
昔、子供は3歳くらいまでに亡くなってしまう場合が多く、7歳まで生きられればおめでたいことだと言われていました。
7歳までは「神様の子」と言われ、7歳を過ぎると「人間の子」として生きていかなければなりません。
これは、7歳までに亡くなってしまう子の親の悲しみを少しでも癒すための言い伝えかもしれませんね。
行くときは「神の子」でも、帰りは「人間の子」として生きていかねばならない覚悟を謳ったと言う説があります。
「帰りが怖い」情報漏洩を疑うスパイ扱い
参道の先の神社には重要な機密情報があり、その情報を持ち帰ることを恐れた唄とも言われています。
行きは簡単に通れるけど、帰りはそうはいなかいよ。
帰りはスパイ扱いされないように・・・と言うことでしょうか。
どちらの説が正しいのか、はたまた他にも説があるのか、はっきりしたことは分かりませんが、昔の童謡にはちょっと怖くて面白い解釈が潜んでいることがありますね。
そんな思いをはせながら、「三芳野神社」を散策しました。
人が居ないので密になることもなく、本丸御殿もゆっくりと静かに見ることができました。
自宅から車で1時間、非日常に触れてストレスも軽減したプチお出かけでした。
近場でも面白そうな所がまだまだありそうです。そんなことに気づかされるコロナ禍です。